Oranudh Syndicate Cooking Workshop(お休み中)

お家ご飯は元気の元。

正しく向き合えば、自分を整える事が出来る。

お腹が整えば、心も整い、満たされる。

心が満たされれば、周の幸せを祈れる。

私はそんな家ご飯を目指している。


食のストーリー 

バンコク生まれ、神戸育ちのタイ人。華僑4世の自宅の食卓にはタイ・シノワ料理をベースに和食、洋食も並び、外食の時は神戸と言う土地柄、世界中の食べ物に囲まれてなに不十無く色んな食文化に触れていた。夏になると毎年バンコクの親戚の家で2ヶ月過ごし、タイ料理三昧。大学進学を期に18にアメリカ、ロードアイランド州へ。グルメの街、学生の街で、アメリカの食文化との出会い。ジャンクフード、レンチンの加工食品、巨大スーパーで並ぶ無機質な食べ物達。その反動なのか真逆のオーガニック文化の豊かさ。スーパーマーケット興味を持ったのもこの頃からかな。

20代までの私にとって食べる事は「欲」を満たす物。「空腹」を満たすもの、「美味しい」を満たすもの、「お洒落」を満たすもの、「好奇心」を満たすだけのもので有った。

30代半ばに軽ーい気持ちでヨガを始める。軽ーい気持ちで断食を初体験。太っていた事もあり、食べる=太る、食べない=痩せると言うダイエット感覚で断食を4日体験。断食と言っても全く食べないと言うハードコアなタイプでは無く、火を通していない生野菜を1日1キロ食べるだけの物。生の野菜をそのまま千切りにして食べるのが辛く、なんだったら、粉砕しちゃえ的な感覚でジュースっぽくして飲み込んだ。(グリーンスムージーと言うものが流行る何年も前の話。)断食中は体が芯まで冷たくて、独特な身体感覚だった。夫も一緒に断食を初体験(夫に誘われてやったのよ)、お互いの感覚の違いを比べたりして、それはそれは不思議な感覚だった。断食の難しさは回復食にある!その道の方々に注意されていて、基本は断食した日数の倍、又は三倍ほどの日数をかけてゆっくり行う事。いきなり普通食に戻すのでは無く、重湯から初め、栄養価の低い物からちょっとづつ普通食に戻す様に。回復食のポイントは体をゆっくり起こす事とリバウンドを防ぐ事。マクロビ食を参考にすると良いよとアドバイスを受けた。マクロビ食って何?アメリカでオーガニックに出会ってはいたけど、マクロビの事は無知な30代半ばで有った。

回復食の何日か目に事件が起こった。そろそろ良いだろうと、ベジサンドを作って仕事場に持参した。バゲットに人参の千切り、オリーブオイル、カッテージチーズ、塩で和えた物を挟み食べた。すると、心拍数がグングンあがり、口から心臓が飛び出しそうになる程に体が対応。初めての体験で慌ててヨガの先生に電話したら、「あらあら、栄養価が高すぎたねっ」と、言われ笑われた。今、思えばチーズとパンでフラッグが上がったんだな。特にパンが悪者だったね。(笑)最初の断食を期に食への興味の方向性がちょっと変わる。なんせ、断食後、食の好みが変わったから。缶コーヒー、ジュース等が苦手になったし、具体的に説明しづらいが、食の好みが少し変わった。

断食をきっかけに食の事を少し勉強して見たくなった。本だけでは不明が事が多かったのでマクロビオティックの料理教室へ半年通うことにした。マクロビとしての考え方を基礎から学び、その哲学に基づいた料理を学んだ。新たな知識が豊富で今の私の料理づくりのベースの一つになっている。しかしマクロビ食では私の本能が満たされない。健康的でありつつ、私の本能が満たされる食って何?と、悩みつつ半年後、念願のたなかれいこ主催のたべもの教室へ通い始める。れいこさんの教室はマクロビ教室に通う前から知っていて、れいこさんが料理雑誌で紹介されていたオリーブオイルのプレゼント応募に申し込み、当選した頃がずっと日本での取り扱いがなくなるまで使っていた。

たなかれいこ主催のたべもの教室は哲学がシンプルで、❶ちゃんとした調味料を選び、❷旬の食材を選び、❸適正な調理法で食べる事(❶と❷は有機・オーガニックで有る事が基本です)。ざっくり言うとこんな感じ。シンプルなんだけど、シンプル故に奥深い。この1〜3を徹底的に深く深く学ぶ事で食にまつわる様々な事情、環境も含めて世の中の見方まで変わります。私はれいこさんの所へ30代半ばから9年通いました。私の料理の基礎はれいこさんから学びました。まさしく私のコアです。(教室で提供されていたオーガニックワインにも興味が湧き六本木の方へオーガニックワイン教室へも半年通ったなあぁ)

3.11は40代前半に起こりました。色んな事柄がパニックになっていて、世間の独特な感覚に振り回されたく無いと強く思い、最低1ヶ月間はコンビニ、スーパー、デパ地下などへは行かず、人が沢山集まる所も極力避け、自宅に有る乾物類、宅配をお願いしていた農家さんのお野菜と生協から届く食べ物だけで生活していました。外食もゼロ。とにかく家にある物だけでシンプルだけど、体を整える感覚で食卓の準備をしようと。あの頃、私に欠かさない大事な食べ物って何?と、良く考えていました。そこで欠かさなかったのが、れいこさんに教わったちゃんとした調味料の❶醤油❷味噌❸塩❹酢に❺米と❻旬の有機野菜を主体にした食生活。そこに安全な肉類、パン、パスタ、お酒類、お茶・コーヒーなどの飲み物類、たまにのお菓子とフルーツ類が有れば私的に完璧でした。3.11を期に自分の食生活を見直し、メディアに振り回されない自分のコアになる食って何?そして、自分で作れる物が有ればチャレンジして見ようと。この頃から味噌、梅干しなどの保存食づくりにもチャレンジし始めました。世の中何が起こるかわからない。何を信用して良いのかも分からない。でも、私が唯一コントロール出来る事は食卓に並ぶ食べ物達、マクロビで習った食が及ぼす体と心への影響を考えると、とりあえず食さえ整っていればどんな事が有っても乗り越えられると信じていました。

40代半ばを過ぎ、私のライフワークで有ったお店を閉店する事になる。頭では理解していた事で無意識的に準備をしていたことですが、いざ決まると心が付いて行けなかった。しかし、世の中の流れを冷静に見ても、この形式で続けるには無理があるとも理解していた。また別の形で再建すれば良いやと言う判断でした。これを期に収入も激減する事を予測し、全ての習い事をやめる。れいこさんでの修行も9年でピリオドを打つ。

これまでにタイ料理を教えてくれと言うリクエストを多く頂いていた。リクエストに感謝しつつ何度か開催もして見た。ただ、私の経歴をここまで読めば分かるように私はタイ料理を正式に学んだ経験は無い。全て家庭で教わった数品の料理しかレパートリーが無かった。その事実がずっと自分の中で引っかかっていて、退職を期に2ヶ月半ほどバンコクへ向かい、タイ料理教室を色々回った。親戚のキッチンにも潜入したし、最終的にフードコーディネーター・メニュ開発・専門学校(コルドンなんとか)でも教鞭に立つ方に朝8時半から午後2時まで、週5日を3週みっちり教えてもらった。教室は彼女の実家で行われて、バンコク下町エリアの町屋で半分外の台所での料理教室は暑さと体力との戦いだった。授業が終わると路地を行き来する赤タクに放り込まれ、大通りに出るとバス路線地図を見つつローカルバスに乗り込んで叔母の家に帰宅。2時間ぐらい昼寝をして、外が涼しくなった頃に近くのモールへ行ってローカルフードを試食したり、スーパー探検したり、料理本を立ち読みしまくっていた。この時期での経験で、自分の中で引っかかっていたトゲみたいな物がぬけた。あと、タイで三つ星のレストラン〜屋台まで色々食べ比べて見て、グローバル化によってタイ料理の味が大きく変化して行ったなと感じた。本当に美味しいと言える物ってほんのわずかなんだなと感じた。

タイ料理を日本で作ると言う事にあまり乗り気で無かった。まず、新鮮な材料が手に入りにくく、空輸に頼る事が多い故、材料が割高。おもてなし料理なら良いとしても普段の食卓には上がりづらかった。鮮度の良い和の食材に溢れて環境に住んでいるのに何故タイ料理を作らねばいけない決定的な理由が見つからなかった。マクロビ的にも、れいこさん的にも、アウト的な要素が多かったのでタイ料理は積極的に作らなかった。ただ、料理留学を期に頻繁にタイに行く機会が増え、私の料理に対する好奇心が親戚達が好意に思ったのかより一層タイの食文化を私に伝えるようになった。年中真夏のタイですが、その暑さの中にも細やかながら旬ってのが有ります。チェンマイの様な北部の街は気候もよく涼しく食卓に並ぶ物もその季節の対応しいものが多く、その土地のお茶文化にも出会いました。

改めてタイ料理を勉強して行く中で、私的に納得が行くタイ料理をお伝えする事が出来るかも知れないなと思い始めた矢先に、コロナ禍になる数ヶ月前に父が逝ってしまった。バンコクで数日前に一緒に食事をしていて、帰国して珍しく大風を引き1日寝込んで朝目覚めたら、携帯の待ち受け画面に一通のメッセージが。思考が止まりました。父の料理が食べれないんだ。父の愛情表現のトップレベルで有ったあの料理がもう食べれないんだ。タイから美味しい食材を持ち込んで、うまいこと日本の食卓に融合していたなぁ。当時、彼なりに恋しいタイ料理を一生懸命表現していたんだろうなぁ。あの味はどこに行っても食べれない。もう一生食べれないんだ。ならば作るしかない。

私はタイ料理の先生を目指してはいません。「Oranudh Syndicate Cooking Workshop」で目指しているものはタイ料理のエッセンスをちょっと加えた、体が整う料理です。それは先に伝えたマクロビ、たなかれいこさんの哲学で有ったり、私の父から教わった事柄です。家庭料理はパワフルです、愛です、お金では買えない宝です。

増田オラヌ